阪神淡路大震災と高知城

BSAスキークラブと言う平沢プロスキーヤーをリーダーとする高齢者でなければ入会できないスキークラブがあり、当時会員であった私は群馬県の岩倉スキー場でBSAの仲間達とスキーを楽しんでいた。
兵庫県南部地震の情報は夕食後、岩倉リゾートロビーのテレビで初めて知るところとなり、翌日になっても長田町の火災はおさまらず地震規模の大きさ、すさまじさにあらためて思い知らされた。
数日が過ぎテレビで応急危険度判定士を必要としていることを知り、リュックに寝袋とヘルメットを詰め込み仕事は社員に任せ新幹線に飛び乗り震災地神戸を目指した、あいにく大阪より先は新幹線の鉄橋落下等で不通、12時間程かけて神戸にたどり着きかろうじて倒壊を免れた神戸の協会に草鞋を脱ぐことがでjき、翌日には甚大な被害を受けた神戸市役所に応急危険度判定士として登録、噴煙おさまらない被災地へ飛び出していった。
応急危険度判定士の業務は地震発生から倒壊を免れた建物の状況を調べ・赤紙危険・黄紙注意・青紙安全の調査済み証を調査建物に張り付け注意を促し二次災害から人命を守る業務と心得ている。
震度6強の威力はすさまじいものであった、コンクリートのビルが横倒し、又は押しつぶされていた。
鉄もコンクリートも木造も倒壊原因は弱い建物を造った人災に近い建物の被害が目を引いた。
外面をかざり大切な見えない構造材の腐蝕や蟻害等の補修を怠った倒壊・細い通し柱がポッキリと折れてしまった倒壊・重い瓦屋根を支えきれない倒壊・開口部の多い建物の倒壊・隣接建物火災熱による鉄骨建物の変形、倒壊・簡易な擁壁の断裂による倒壊。
被災地には建物の反面教師が多く存在し、現在加賀妻の創る骨太・樹の家のヒントを得たのです。
・折れにくい檜15㎝の通し柱・シロアリが一目置いている大断面国産木材・美しく管理点検しやすい杉の構造材を見せる自然素材の家。
阪神淡路大震災の後、頑丈な建物を創るヒントを求め辿り着いたのが、奇しくもかの有名な、山内一豊の妻が住んだ高知城であった。
高知城天守閣の太くむき出しで黒光りした年代物の国産木材、松・杉・檜・ケヤキの年輪がヒントで、無垢の国産自然素材を表した地震でも倒壊しない加賀妻の家が誕生したのでした。
高知城をヒントに、設計した建物の第1号が加賀妻工務店隣接地にあり、当時はマスコミにも騒がれ、同業者の知るところとなり現在では住宅と言えば自然素材の家、無垢材の家となったのです。
破れ障子の気にならない、経年変化を楽しむ自然素材の家はぬくもりがあり、子供を育て樹と共に暮らし、楽しむ城なのです。