無き母の願い?踏みとどまった富士登山延期で命拾い!

今日は1日夜明けのガス灯のごとくであつた、原因は!
ネットや登山の書物で準備を重ねいざ鎌倉の直前、念のため調べた天気予報で登山は凶と出てしまった為である。
過去の登山において母とチャレンジした夜間登山を思い出し決行を思いとどまったのであった。
15年ほど前になる奇しくも今回と同じ8月9日、夜間取引先のボーリング大会に参加しその後、PM9時頃から星空の元に出発した登山であったが11時頃から豪雨となってしまった。
せいぜい6合目付近であったと思うが、ははの身を思い下山を進めたが母は、私は死んでも上るよとさらに上の7合目を目指すことになってしまった、当時母は70歳は過ぎていた筈であるが元気でした。
富士登山の雨は下から吹き上がり当時の雨具ではとてもしのげることはできなかったがずぶ濡れのままさらに8合目へ、時間は既にAMへ、雨宿りのため山小屋で待機天候の回復を待ったが、残念なことに登山禁止のパリケードが登山道に立ちはだかり夜明けをまって豪雨の須走を走り降りた、すぐ脇を鉄砲水が滝のように音を立てて流れていたのを目のあたりにして恐ろしい記憶がよみがえった。
不思議なことに下山途中からは快晴であったので救われた思いで、ほっとしたのが懐かしい。
思い出の夜間豪雨登山と同じ9日私は70歳を迎えつつあるがとても母の気骨には勝てないと思うが一つのけじめとしてこの登山は成功させねばと準備を済ませたが、あのときと同じ豪雨登山の直前に登山断念できたのは今年93歳で大往生を果たした偉大な母の忠告であったような気がする。
この忠告が無ければたぶん今回の登山はかなり危険な夜間登山となり生命の危機もあったかも知れぬ無謀な登山をしていたのかも知れません。
夜明けのガス灯のにお袋さんの愛情を感じた一日であった。