15年目のさとり Ⅱ 工務店の努め 

15年目のさとり Ⅰ で完結させたはずの工務店のさとり本文がなぜか?消えているのに気がついた
ずいぶん気を入れて想いを綴ったのにざんねん至極である。
きっと写真を添付するのに手間取ってしまい、うっかり弾みで消去させてしまったのであろうが改めて書き直す気力はあまりのショックで失せてしまったのであります。
しかしです、折角15年目のその日に震災地神戸を訪れた目的だけは知って欲しいので簡略に結論のみ記すことにした。
茅ヶ崎市がおこなった鳴り物入りの減災シンボジュウムは結果の評判はとても良かったとの評価を参加市民の方々から頂けたことは誠喜びであり、その方々の生命財産をお守りするヒントを発信できたことは何よりで、目的は果たせたと思っていますが参加されないその他大勢のお気の毒な!地震発生時の”被災候補者!の為に、神戸で実際の救援を手がけた消防署職員さんの手記や写真を見、茅ヶ崎市民の被災候補者を救援する手法を学ぶための15年後の神戸入りです。
建物が倒壊し家の下敷きになり救助を待つ被災者の救済方法を学びに、15年目に発表された被災者救援の写真展を視察尊い命が失われた瞬間写真からそのヒントを得ることができました。
いざ地震発生となれば建物の構造に詳しい私達大工職人衆が率先して家屋の下敷きとなっている市民の救済にあたるべきであると悟ったのであります。
生命財産の損害を最小限に抑え、緊急の手助けをする民間救助隊のコーデネーター役を引き受けることが阪神、新潟、能登、柏崎と地震発生のたびにボランテァ経験を積んできた小生の役目と思うのです。
すなわち救援依頼、緊急応急修理等の連絡受付センター、を立ち上げ司令塔となるのである。
今のうちから救援司令塔を立ち上げその存在を市民に知らせておくことが必要でありその先鞭をつけるのが地元一番店加賀妻工務店のつとめであり、協力して市民生活を正常化させていくのが地場の工務店のつとめである。
続きはいずれ気をとり直せた時に。