彼岸は浅草かっぱ寺へ墓参に行ってきました 

雷門のある浅草寺裏にかっぱ橋道具街と言う大きな問屋街がある。
道具というと私は大工道具以外考えが及ばなかった一昔前、大工道具一式をそろえようと河童橋道具街へ出向き戸惑ったことがある。
(欲しかった大工道具とは・ちょうな・かんな・仕上げ砥石・のみ・玄能・のこぎり・墨坪・墨差し・指金)
実は向かった道具街には意外にも大工道具の販売問屋はなかった。
あらためてどうと言うこともないことであるが、当時は大工道具がに入らず残念に感じたことであった。
私と、かっぱ橋とのつきあいは、戦時中に、ニュウギニアでマラリアにより戦病死した我が父上の墓地が雷門裏手に位置する、カッパ寺にまつられているのです。
実のところ、父の墓はカッパ寺ですが、父の遺骨は墓地には有りません。
日本から遠い異国のニューギニアマノクワリでなくなった父の遺骨は未だ日本の地を踏んでいないのです、幼い頃の記憶に白木の箱の中でころころと音とと共に転がっていた石ころが遺骨代わりと母より知らされていましたから実際のお墓(遺骨)はニュウギニアの山河に未だ眠っているのです。
一昨年になるが、父の見たであろうニュウギニアの山河を我が目に焼き付けたくて妻と現地へと向かいニュウギニアの戦没者慰霊碑に手を合わせてきました。
私も妹も父の顔は写真でしか知らないのです、幼くして父を戦場にとられ苦労した母の手にて育てられ現在の私達が有るのですがその母も一年前他界しました。
カッパ寺へ向かうのも今回で終わりにしようと出向いたのです、新婚生活もままならないまま引き裂かれ戦場の露と消えた父と、銃後を守り私達を育て守り通してくれた母は今頃は、あの世とやらで再会を果たしているであろうから、私の戦後はこの墓参を最後に幕を引き70才の今から新たな人生を歩むことにしよう。
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