訃報 谷啓さん78才、友の待つ世界へ旅立った! ガチ~ョン

谷啓さんとは特別お付き合いがあった訳ではありませんが特別の思いがあるのです。
私が二十歳になり年季奉公を済ませ一人前の大工と世間に認められたのは50年も前のことです、年季が明け念願かなって新宿角筈にあった工学院大学の付属高校定時制の建築科に20才で入学した時、同級生は15,16才の少年達ばかりであったことを今も昨日のように思いだす。
私は仕事を早仕舞いさせてもらい毎日学校へ、通学には大工の師匠の愛車・250ccのホンダドリーム号で革ジャン、半長靴と言ういでたちで、甲州街道を突っ走り新宿に向かう日課でした。
その頃世間では歌声喫茶が全盛期、銀座や新宿には(あしべ)と言う歌声喫茶があり、歌舞伎町界隈ではクレージーキャッツ(植木等、谷啓他総勢7人位だったかな?)のショーが掛けられ、若い人たちが会場の外まで群がっていました。
派手やかな歌舞伎町でのクレージーキャッツの派手やかさと、希望に燃えていた二十歳の苦学生とのギャップを何となく感じていたのか今でも彼らの消息を耳にすると二十歳の自分を思い出すのです。
授業が終わり21時頃から歌舞伎町を歩き、時には歌声喫茶で合唱を(山の娘ロザリア、山男の歌等豆本歌集を)見ながら歌い、帰りには追分団子を食べ、後は大声で歌いながらドリーム号で、作業場2階の飯場の、冷たいせんべい布団に帰るのが棟梁の青春時代の始まりで、谷啓さんグループが有名になりだした頃と、私の青春開花がラップしただけの小さなご縁です。 以上