今年の初滑りは苗場筍山頂上から

箱根駅伝復路の全員ゴールを待って湯沢の岩原ゲレンデに隣接する弊社保養施設パノラミック湯沢に向かった、東名、環八、練馬より関越へと距離にして250㌔所要時間5時間ほどで湯沢インターをで、川端康成も訪れていたという共同温泉、山ノ湯にて汗を流し保養所へ入る、20年も前には孫の雄介(現会社修行中)を連れ良く足を運んだ。
今年の湯沢は残念なことに雪不足で岩肌が出ていた為、翌3日のスキーは諦め4日苗場へと向かった。
苗場プリンスも経営権は既に他社に代わり、周囲のロケーションも様変わりしていたが流石苗場山である、ゴンドラとリフトを乗り継いで筍山の頂上へ、素晴らしいパウダースノーの雪質であった。
若いときは一気に滑り降りたゲレンデも年には勝てず膝にきてしまい、休み休みの滑降
となってしまった。
目的は苗場から隣山の田代ゲレンデまでゴンドラで繋がった為田代への遠征であったが体力の限界を知りあきらめた。
ちなみに苗場田代間の所用時間は片道25分料金は往復で1500円である。
翌日蓼科の会員制保養施設(エクシブ)に宿泊し、22年も前になるか、独身の娘達や社員達と良く通ったスキーリゾート、エコバレー、車山を眺めながら諏訪南インターより帰路についた。
スキーブームの頃通常のリゾ-と地のマンションは2000万円~3000万円程していたが現在では10分の一ほどの値で取引がされているようだ、資産価値もなくなり不景気で利用する人も少なくなったため処分するにも買い手もなく困っているらしい、かって景気の良かった企業が社員の保養所として購入した、リゾートマンションであるが管理費が払えず不良資産となり、競売にかかる始末であるが弊社にとっては相続を考慮した折り株価を下げることになり好都合である。(物事は考えようで良くも悪くもなる)、同じことならプラス思考で考えよう。
私ごとであるが、一人前と認められ社会に出てから50年、幸運に恵まれてか?ピンチをチャンスに代え、ニクソンショックも、石油ショックも、バブル消滅も過ぎてしまえば弊社にとっては増収増益資産倍増、本業に徹した50年小さな会社の小さな蓄積、ちりも積もればである。
20才で帆を上げいつの間にか私も71才、これからは後継妹尾敏腕社長の経営手腕にゆだね創業100年に向けての礎を築いていかねばならぬ。
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