台風一過70日のご無沙汰です

残暑から初冬へ、一シーズンを愛妻君の体調変化と付き合う事になった。
建築の事であればどんな困難も解決させると自負する百戦錬磨の老獪棟梁も神秘な身体の事には手も足も出せないありさま貴重な70日間はそのために使った失われし貴重な日々でありました。
あとの後悔先に立たず、プライベートな事でありますが妻の許しを得、あえて多くの皆さんのためにご披露する事とします。
披露の題目は女性であれば体験する可能性大である小さな子宮筋腫の成長過程のストーリー。
子宮筋腫の小さい内は切除する必要もなく温存しておくのが良いとの言い伝えを信じ永年温存し通院経過観察の筋腫は知らず知らずのうちの一時に内視鏡手術が出来ない大きさに肥大、泣く泣く、筋腫は子宮全摘手術という開腹手術を東海大学病院婦人科医の執刀で行った。
手術後5年の年月が過ぎ、ホルモンバランスを考え、残した卵巣が6㎝ほどに肥大、本来であれば内視鏡手術も可能であるが、5年前の手術痕周辺の癒着の可能性大きい事から、再度開腹手術を進められ、求められた様々な同意書に不安を飲み込み渋々のサイン、5年前の開腹手術痕に合わせ3人の女医さんにより執刀された。(左右卵巣、卵管摘出)
予定の2時間は過ぎ、不安の中1時間超過した時に手術終了の知らせと執刀医による説明を一人で立ち会い、摘出した血だらけの部位を同じく血液の付着したゴム手袋の指で、丁寧に広げ腫瘍等危険な病根のない旨の説明を受けた。
又5年前の手術痕の癒着がひどく腸壁から大腸をそぎ剥がす切開に時間がかかったと報告であった。
大手術にも係わらず1週間後には退院をせかされ不安の中会社裏の自宅に戻ったが、その晩より苦しみだし顔面蒼白、嚥下を繰り返し最後には濃い緑色をした液体が吐き出された。
翌日は日曜日であり、月曜の開院を待ち東海大病院に後戻りしたのでしたが既に病室は満員でその後に2日間は飲まず食わずの通院で点滴3日目にやっと入院が可能となったのです。
事の発端は退院時の注意事項の伝達不備により知らずに取った飲食の質から腸閉塞を発症させてしまった事でした。(病院側は不備を認めたが後の祭り覆水盆に返らず)
10日間の再入院を経て体調戻らぬまま家に戻されてしまい、現在は縁あってお付き合いの始まっている鍼灸治療院にて治療を行いわずかずつではありますが良い方向に向かっています。
現在一番の願いは毎日の便通が滞ることなく訪れてくれることを祈る日々です。
情けは人の為ならずです。
妻の快復を助けてくれる治療院の奥様は強度の化学物質過敏症のその解決の為著名な建築家や工務店を探し歩きたどり着いたところが我が輩のところでした。
我が輩はシックハウス症候群の知識豊富であり、シックハウス首都圏支部を設立した立役者であります。
この春、治療院の化学物質を取り除きリフォームを成功させ院長夫人を過敏症から救い出し感謝され、今度は我が愛妻が救われる事になるとは夢にも思わないことでした。
・医は仁術なり、住まいの病も仁術でと何かに目覚めた棟梁なのです。
何事も早期の手当が肝心、もしも内視鏡手術が可能な時に手術を済ませていれば卵巣摘出も又、内視鏡で済ませられた筈であり癒着も起こらず腸閉塞にはならなかったであろう。
後悔先に立たずのことわざどうりであり、人間の健康も住まいの健康も日頃の養生が肝心なのです。