筑波の竜巻見聞録

まさかが又も訪れた! 東日本震災の時と同じ疑問が脳裏を走り、被災地の筑波山の登山口つくば市北条地区へは秋葉原から特別急行で45分で筑波駅へ、北部シャトルバスに乗り換え北条地区へ1時間、延べ3時間の異動、被災地に近づくにつれ道路が混雑し緊急自動車の赤い車両が目につくようになった。
到着後即、建築士事務所協会のジャンバーと建築調査の腕章ヘルメットを身につけ気になっていた、ベタ基礎が裏返しになり建物が粉々に砕けてしまった住宅の調査に取りかかった、
2階建ての建物が砕けて原型を残さず下敷きになり、重いコンクリートのベタ基礎がのしかかり、5m程手前には本来あるはずの建物は無くベタ基礎下地の敷砂利が無傷のまま残されていた、この建物は田畑の中の小高い敷地の一軒家、建物の構造は2×4構造のパネル住宅であった。
田畑からは1m程敷地が高く軽い2×4工法パネルの住宅であった事が被害を大きくした。
気になる次なる被害建物調査は被害の甚大な集合住宅の隣接地に建ち同じく原型をとどめぬ被害の住宅である、基礎に唯一残されたものは短いアンカーボルトと2×4インチの土台材
だけであった。
奇しくもこの被災建物も犠牲者を出してしまった前出の2×4工法建物であった。
被害調査no3は戦前の建物のような木造軸組工法らしき建物であるが来れも又原型をとどめず破壊されていた、残された布基礎にはあるべき筈のアンカーボルトが一本も確認出来ない状態の建物であった。
何れの建物も複数の原因と偶然を持って崩壊してしまったと推察した。
広範囲の被災現場ではあるが、しっかり造られた建物では瓦屋根と、窓ガラスの被害程度でとどまり、倒壊した建物とは構造と○○が明らかに異なっていることを確認し調査を終え帰路についた、帰宅時間21時30分。
ここのところ地震に関心が集まり風水害が後手に回っているように思える、災害は忘れた頃に発生するのことわざがあるが、全てのサイクルが狂ってしまったのか忘れる間もなき間に災害が発生していることを無視してはいけないと思う。
ある人は言う、東日本の震災以降日本列島を支えているプレートが破壊され何が起きても不思議ではない!全てを整える事は不可能只受け入れることしか出来ない。
しかし加賀妻で手がけている建物においては充分にこのことは考慮していることでもある。
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