15年目のさとり 工務店の努め

阪神淡路大震災から15年の日、すなわち茅ヶ崎市の震災フォーラム終了後東京駅より新幹線のぞみにて震災都市神戸に向かった、今から思うとまだ若かった55才の自分に再会する事、そして震災の傷跡を探りその復興の見事さ力日本の神戸の強さ底力を確認する目的もあった。
大阪より三ノ宮へ向かい先ず脳裏にあった被災地の状況、倒壊した駅前の闇夜の様に真っ暗だった神戸新聞ビルやそごうデパート群がイルミネーションに輝き見事なまでに復興をとげていたことに感動を覚えた。
既に18時を回っていたので駅前の東急インに宿を取った、このホテルは震災時の倒壊を免れたビルで当時はこのホテル前から臨時バスが発着しバスを待つ数百人の背にリュックを背負った行列が続いた場所でもあった。
翌日、本来の目的地である神戸市役所で、おこなっている地震直後の救援活動を記録撮影した880枚の写真展会場に向かった。
震災時は4階程のところでつぶれていた市庁舎は倒壊部分が取り除かれ残った部分に屋根が造られ低層建物に代わっていたが全体の面影は被災時の姿をとどめていた。
空中の渡り廊下の落ちた場所には追悼を兼ねた?大きな花時計が造られ観光名所へと代わり隣接して高層ビルの新館市庁舎がそびえ立っていた。
15年前の震災は群馬県岩倉のスキー場で知り、木造住宅の倒壊がクローズアップされてていたことから、その真実と原因を確かめに行ったことがきっかけで私の倒壊建物研究と耐震住宅建設の研究が実践されたのである。
私のおこなった倒壊調査の結論から通し柱の太い、構造の見える建物を、高知城をヒントに考案、朝日新聞が支援している協同組合匠の会として新聞紙上に発表、(我が家の柱と初対面 ・樹の家)話題を呼んだ。
最近ではほとんどの建設会社がその工法を流用して無垢の家とか自然素材の家、骨太の家などと宣伝をしていますがその原型となる建物が加賀妻本社裏に展示場として建設、現在は居住しながらの展示をしています。
少し前置きが長いが本題、工務店の努め
下記の写真は補強模型事例
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*15年前の阪神救援活動
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*救援用工具
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*ご冥福を
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*焼け跡より人骨の捜索
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*命を繋いだ善意の炊き出し鍋
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