長野県白馬村地震

地震勃発から1週間 12月1日より倒壊建物の撤去作業が始まると報道にて知り、倒壊原因調査のチャンスを失うことを恐れ、取るものも取らず電車を乗り継ぎ(茅ヶ崎駅→橋本→八王子→松本→白馬駅)6時間ほどで小雪ぱらつ日没のく白馬終着駅にたどり着いた、乗客の一部は乗り換えのため
( 白馬から先は線路崩壊のためか)、JRが準備したタクシーやマイクロバスに案内され、オーストラリアからのスノーボーダー3名他、通学生達10数名が分乗し奥地へと向かっていった。
線路を境にアルプス側(白馬各スキー場)にはホテル民宿が多く幸い被害が少なかったため、線路を挟んだ反対側(農家が多い)の震災被災者の方々がほどなく訪れるスキーヤー宿泊施設を仮の避難所として各被災地区の村が契約し食事代は自己負担?で被災者の宿泊所としているようであった。
ちなみに私が宿泊した白馬ロイヤルホテルにも被災者の方々の姿があった。
翌日早朝より被災地に詳しく、報道関係者を案内していたという地元のタクシーをチャーターし被災地をくまなく周回、倒壊建物に潜り込み倒壊原因の引き金となったであろう部位を探してはデジカメ2台におさめその数は4時間ほどで1000枚弱となり、カメラのバッテリーも限界、前日早朝よりガラ系携帯電話での連絡、仕事関連の緊急相談電話やメール対応しながらの震災地調査は心身も又限界、幸か不幸か会社との連絡に使っていた携帯電話のバッテリーも又限界とこれ以上の滞在は無理と判断、帰路は穂高